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こうみそだて その3 「出てこない!!」
こうみそだて その3 「出てこない!!」
▲こうみそだて


 
 3月に妊娠がわかって、パニックになりながらもなんとか落ち着き、季節は秋――。赤や黄色に色づく葉を見ると、例年になくなんともいえない気持ちになり、おなかに手を当てて「きれいだねぇ」などとにこやかに胎児に向かって話しかけ、私もはたからはちょっと不気味な(よくありがちな)立派な妊婦となっていた。
 出産に向けての準備も忙しくなった。「短下着」「長下着」「オムツ」「哺乳ビン」「哺乳ビン消毒器」「母乳保存パック」…と、初めて聞くものも多く、何をどれくらい用意すればいいのか見当がつかず、スーパーの乳児用品売り場に置いてある「初めてのお産で用意するもの」というパンフレットを入手したり、最近出産した友人に聞いたりして、迷いながらも「こんなにちっちゃいんだぁ……」などと感激しつつ揃えていたのでした。
 出産予定日一週間前になると、親や友人からぞくぞくと電話がかかってきて、「どう?」「まだ?」などと聞いてくる。何しろ、私は一人っ子。両親にとっては初孫だし、好き放題ばかりで結婚の「け」の字もなく、なかば一人娘の結婚も子どももあきらめていただけに、期待はいやおうもなしに膨らんでいるようだった。加えて、そのときの仕事仲間や友人はシングルも、私の妊娠・出産を結構楽しみにしてくれていたのだ。「初産は遅れるらしいよ」と最初はのんきに答えていた私だったが、予定日一週間を過ぎても「気配」がないとなると、いささか焦りだし、「まだ?」という電話がかかるたびに憂鬱な気持ちになっていった。
 まあ、私も連れ合いものんびりタイプだから、ゆっくり出てくるだろうなんて言っている余裕の時期は過ぎて、「予定日より一週間以上たつと、胎盤機能が低下する恐れがあります…」などと書かれている書物を見ると不安は頂点に達し、「ど、どうすればいいんだぁーーー」と頭を抱える私であった(ホントに)。
 しかし、えらかったのは助産院の助産婦さんたちで、「大丈夫ですよぉ。気になるのなら、提携している産婦人科に行ってみますかぁ?」とトチ狂っている私を穏やかになだめつつ、根津にある産婦人科を紹介してくれたのでした。ここは、古い産院で、先生は男性でしたがサッパリした感じで好感が持て、おなかの感じや内診の結果、まだ子宮口が開いていないとのことで、とくに異常はないと言う。しかも、「あれ、この子は頭が小さくて、足が長いなあ…」とつぶやいており、すっかり安心した私は、「将来はモデルか?」「やっぱりわが子!!」とさっそく一人悦に入っていたのでした(←単純バカ)。
 が、しかーし!! それから出てこないこと、さらに一週間。さすがに、親や友人たちも、プレッシャーになってはいけないと、パタッと電話もかけてこなくなった。漬物石のように重ーい気持ちで根津の産院に向かい、胎盤機能を調べてもらった帰り道、少し気分を回復させようと上野の不忍池まで歩いていたときだった。なんとなく「出血」の感覚があった。もちろん、そのころには常時ナプキンをあてているので慌てなかったが、おなかがかすかに痛む。「もしかしたら、今日あたり…」
 急いで自宅に戻ると、夕方ごろからまたおなかが痛み出した。このところ早く帰宅している連れ合いが帰ってきて、痛みの間隔を計ると、一時間おきくらいになってきている! そのうち、どうにも我慢できないくらいの痛みになり、間隔も短くなってきた。やはり出産が始まろうとしているのだ! それからが大変だった。最初の我慢できないくらいの痛みは「屁」ほどのものでしかなかったくらい強烈な痛みがこれでもかと続くのだ。助産院に電話すると「明け方ごろ来てみて」とのことで、この晩は「痛い、痛い!」という私のそばで、腰をさするよう命令されていた連れ合いは起きているのがやっとだったという。明け方、連れ合いに支えられるようにしてタクシーを拾い、助産院へ向かった。昇りかけた太陽を見ながら「今日、私はお母さんになるのかもしれない…」と思うと思わず涙が出そうになる。
 助産院に着くと、和室で産む予定だったので、あらかじめ出産に備えて預けてあった荷物が置いてあった。朝食が出され、私は痛むおなかをなでながら、必死で食べた。ようやく出てこようとがんばっているわが子を助けようと、階段の上り下りや、11月の寒空の中連れ合いといっしょに外に出て、靖国神社までの坂道を登ったりした。途中、5分おきにくる陣痛に「うっ」と道でうずくまると、通行人が「大丈夫ですか!?」と駆け寄ってくる。はた迷惑な妊婦だった。しかし、こうまでしても出てこない。昼が過ぎ、夕方になった。朝食に続き、昼食、夕食ときれいにたいらげたお皿を片付けながら、「えらいわぁ…普通はみなさん、苦しくてほとんど残すんですけどねぇ…」と感心しながら(半ばあきれながら)助産婦さんは言った。が、しっかり食べて体力をつけたのがよかったのか、だんだんと痛みが1分ごとになってきて、あとはもうこの世の終わりとも言うべき痛みが続いたかと思うと、スルッと何かが出てきた。
 そう、赤ん坊である。出産スタイルは座産。畳に座った状態で、上半身をいすに座った連れ合いの足の上に乗せ、キリでつつかれたように痛む背中や腰を助産婦さん二人に支えてもらいながらの出産だった。「楽な姿勢で産んでね」というこの産院の方針で、いろいろな姿勢をとったあげく、前かがみになってボールを抱えるような感じで産み落としたわけだ。今考えても、診察台に仰向けになって足を広げて出産、というスタイルではとてもいきめそうになく、よくみんなあの姿勢で産めるなーと感心するくらいだ。
 へその緒は連れ合いが切った。「最初は青っぽかった赤ん坊が、だんだん赤くなっていった…」とは連れ合いの感想である。元気に泣くわが子は女の子だった。助産院なので男女どちらかは産まれてからのお楽しみだったのだ。11月7日、午後9時32分、陣痛から丸1日経っていた。「私たちも人の子の親かぁ」。このあと続く地獄のような子育てなど思いもよらず、幸せをかみしめる私たち――丸1日寝ていない私と連れ合い、そして生まれたばかりの赤ん坊は3人「川の字」になってぐっすり眠ったのだった。(つづく)
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