全国商工会青年部連合会
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宮城県被災地視察レポート
2011年3月11日。その日私は東京での全青連の臨時総会に臨んでいました。
2時46分。はじめはゆっくりとした揺れから次第に立っていられないほどの大きな揺れが私たちを襲いました。
ビル内に響き渡る悲鳴、壁には無数のヒビ・・・まだ揺れが収まらない中、他の会長と共に8階から階段を使い外のSL広場に避難しました。
広場は近隣から避難してきたサラリーマンなどで騒然とし、数時間後に大型スクリーンから流れた津波が家屋を飲み込む映像に皆愕然としました。

あれから1年2ヶ月が経ち、現地の現状はどうなっているのだろう…
ここ遠く離れた九州で暮している人間はメディアから伝え聞く情報しか入って来ません。
瓦礫も片付けられ、全ての避難所も閉鎖になり被災者は新しい仮設住宅に移り…
なんて事を聞くと、もう復興に向けて着実に進んでいるんだなと思ってしまう。
現在、メディアから流れる震災関連の情報の多くのは、原発と瓦礫の処理問題。
正直、あの津波の恐ろしさや被災者の苦労なんてどこか記憶の片隅に追いやられている自分に嫌気が差していました。

今回は盛岡で開催された全青連通常総会の機会を利用し、九州の県青連会長を中心に宮城県石巻市を視察してきました。
今までも青年部活動を通じて支援や義援金集めを行ってきましたが、今回の被災地訪問では被災地の現状と今後の課題を改めて突きつけられました。
先ず訪れたのは、教職員と児童の7割もが犠牲になった大川小学校。ここは10キロ離れているのに磯の香りがします。

なぜあのような悲劇になったのか、無力さと悲しさで胸が締め付けられる思いでした。
今後この校舎を残すのか取り壊すのかで行政と父兄との間での論争になっているとの事。これもまた悲しいことですね。


次に向かったのは一山超えた所にある雄勝町。
移動の車から見る更地なった土地は、震災前には多くの家屋が建っていたと説明されてもなかなか想像がつきません。
津波によって押し流された鉄橋の残骸も川に突き刺さったままです。


雄勝町は湾の奥に位置し、豊かな海と山々の緑に囲まれた素晴らしい景観の町でした。
この町の仮設商店街で中心的に活動されている小松部長や部員さんとの話では、震災後人口が大幅に減少し仮設商店街に人が来ない。今お願いしたいことは、この仮設商店街を盛り上げるために九州の物産フェアなどイベントを企画して欲しい、何か人が集まることをやってもらいたいという事でした。
やはり、時間の経過とともに支援の形は変わるのだと感じました。これは九州ブロックで持ち帰り、これから継続できる支援の形を模索しようと考えています。

最後に、今回の訪問では商工会青年部がいかに地域に根ざし、地域の防人として日頃から活動しているのか改めて認識することが出来ました。
今後も全国組織のスケールメリットと商工会の特色を活かした支援を続けて行かなければと思います。


宮崎県商工会青年部連合会 
会長  中村 昭人
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