岡空小児科医院
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芋太院長のお友達随筆集
 芋太院長の仲良しや悪友の随筆です。 これまた、必見!


「神(左)と私(右)」続時間の風景 (メディカルトリビューン2003年5月)
〜2002サッカーワールドカップ〜 その日,2回気絶した!
南寿堂医院(静岡県小山町)院長 岩田祥吾

 私は富士山麓に住むサッカーを愛する内科小児科開業医です(1984年卒、43歳)。 学生時代は野球部員でしたが大のサッカー好きで、ワールドカップ(W杯)は78年、アルゼンチン大会で目覚めました。 あの93年、「ドーハの悲劇」は学会発表前日の深夜に(生放送で)体験してしまい、翌日は腑抜けになりました。 その後、日本は98年、フランス大会の本選初出場(3連敗)を経て、ついに地元開催、W杯韓日大会を迎えました。 「↑神(左)と私↑(右)」       
 2002年 6 月 4 日、埼玉スタジアムは記念すべき代表の初戦! 夕闇迫る午後6時ジャスト、いよいよ選手入場です。 その祭典のかがり火を、私は神 1 )と一緒にサポーター席から眺め、まずは感動と喜びをわかちあいました。 そして、ヴァンゲリスの「アンセム」が流れ始めると場内は勇気と共に、威容(異様)な雰囲気に包まれていきます…。
  3 年前、私は小児科フリートークメーリングリスト(FTML)に入会させて頂きました 2 )。 MLは管理者のもと登録者が電子メールで会話する井戸端会議です。 FTMLは小児科医を中心に医局の雰囲気を体験できる医学系MLで、学問はもちろん趣味や心温まる話題も多い魅力的なMLです 3 )。
 私はまず、FTMLの情報を元に日本サッカー協会のサッカードクターセミナーを受講し 4 )、ここで縁があり静岡ベニューのW杯医事業務(観客救護)に参加する栄誉を得ました 5 )(サッカー史に残る準々決勝、イングランド対ブラジル戦では救急車3台を要請しました)。 しかし、肝心のチケットは何をどうやっても入手できません。 諦めかけたその時、神が微笑みました 1 )。W杯を観戦できる!  しかも日本戦と準決勝。
舞い上がった私は、FTML上で「日本が決勝トーナメントに行かなかったら坊主頭になる」という俗な宣言までしてしまいました 6 )。 もう後へは引けません。
 日本対ベルギー戦。 試合前の緊張感というかワクワクドキドキというか、これがまたたまらなかった。 国歌斉唱の時は、子どもたちが願いをこめて書いた国褐訴画用紙)を頭上にかざし全国に届けと祈り、そして興奮のうちにキックオフ!  前半は 0 対 0、日本は相変わらず点が取れそうにない。 悲観的な気持ちで迎えた後半、相手のエース・ウィルモッツの華麗なシュートが、ついに決まってしまった。 あ、あ〜もう絶対ダメだ。 坊主頭だ〜!…目の前が真っ暗になってしまい、 1回目の気絶…。
 数秒後に覚醒し気を取り直そうと必死な私。 声を出して応援しなきゃサポーターじゃないと思いながらも声が出ない自分が情けない…と、その時! 小野伸二の縦パス 1 本を、がむしゃらなステップで突破した鈴木隆行がつまさきで触った執念のボールはゴールキーパーの脇を転々と抜けていく。 ゴールへ向かうボールの動きにつられて、や・や・やった、やったー! うわー! ばんざ〜い! ばんざ〜い!
いいぞ〜! すずき〜! どわ〜!(後は言葉にならず神と共にジャンプ! ジャンプ!)…今度は目の前が真っ白になってしまい、2 回目の気絶…。
 2回目は心地よかった。 雲の上を飛んでいるようだった。 あんなに歌っても叫んでも跳び上がっても不思議じゃない世界。 唸る地響きを全身で感じ、次の瞬間宙を飛び、自分の絶叫する声が聞こえない世界。 地獄から天国。 気絶して覚醒してまた気絶して、こんな事は二度と体験できないでしょう。
 その後も稲本の逆転や幻のゴールなどがありましたが、三度目の正直には至らず終わってみれば2対2のドロー。 その時点で大喜びはできませんでしたが、今振り返ってみると生涯最高の真夏の夜の夢でした。 髪の毛も健在です。 とにかく一生語る事ができます。
 現在私はサッカーJリーグの医事業務を仰せつかっております 4、5 )。 その条件はサッカーを愛し、中立の立場で、Jリーグの業務を自分の生活のリズムの中で優先できる医師。 今後ますますサッカーと関わっていける職種なので、厳粛かつ幸せな気分です。 「趣味が転じて福となす」。 多くの方々とFTMLに支えられ、ここまで来ました。 神さまありがとう、そして2006年は、ドイツ!
  謝辞
1)W杯へお誘いくださり一緒に観戦した神、東京都府中市の崎山弘先生。
2)すばらしい出会いの原点FTMLの管理者、東京都渋谷区の宝樹真理先生。
3)いつも優しく的確なアドバイス、東京都文京区の内海裕美先生。
4)サッカードクターセミナーへお誘いくださった、神奈川県大和市の門井伸暁先生。
5)W杯医事業務、Jリーグへご推薦くださった、静岡県清水市の渡辺善明先生。
6)一緒に坊主頭になる!と言ってくださった、鳥取県境港市の岡空輝夫先生。
 以上の先生方へ心より感謝申し上げ、稿を閉じさせて頂きます。
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岩田祥吾 南寿堂医院(なんじゅどう) −こどもの笑顔を育もう!−

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 タバコの害からこどもたちを守る! −タバコ規制枠組み条約に注目−
                  南寿堂医院(静岡県駿東郡小山町)院長 岩田祥吾
1.健康増進法
 肺がん、喉頭がん、肺気腫、心筋梗塞、歯周病、ニコチン依存症など「タバコ病」については多くの方がご存知だと思います。 しかし受動喫煙の害、特にこどもや妊婦・胎児に対する害はあまり知られておらず、社会的に大きな問題となっています。 受動喫煙とは「他人のタバコの煙を吸わされること」を言い、平成15年、健康増進法「受動喫煙の防止」が施行されました。 学校、体育館、病院、集会場、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を「管理する者」は、これらを利用する者について、受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければいけないのです。
2. こどもの受動喫煙の害
 静岡県立こども病院の加治正行医師は、こどもが受動喫煙にさらされると、以下の危険があることを大人に呼びかけています。
1)乳幼児突然死症候群の原因となる。
2)気管支喘息、肺の病気、中耳炎などにかかりやすくなる。
3)病気入院が増える。
4)身長の伸びが悪くなる。
5)知能の発育が劣る。
6)虫歯になりやすい。
7)成人後の発がん率が高くなる。
 さらに今年になって米国シンシナティこども病院のチームが、こどもが受動喫煙すると「学力が低下する」ことを発表し、世界中の親たちに衝撃を与えています。
3.タバコによる死者
 これだけではありません。 タバコ病は知っていても、タバコの害の「重大さ」が知られていません。 平成14年英国オックスフォード大学、リチャード・ペト氏らの推計によると世界で年間500万人、日本で11万人もの人がタバコの害で死んでいます。 さらに世界禁煙デーのWHO(世界保健機関)資料にあてはめると、日本人の受動喫煙による死者は、年間2〜3万人にも及びます。 交通事故による死者が年間1万人ですから、なんとその2〜3倍も多いのです。 そして合計13〜14万人が死亡するということは、御殿場市・小山町を合わせた人口(以上)が、毎年タバコによって奪われているということです。 恐ろしい話です。
4.WHOタバコ規制枠組み条約
 世界のタバコによる死者が2020年には年間1000万人になるという予測がでました。 当時のWHO事務総長のブルントランド氏は「タバコ病は世界的流行病であるが予防可能」とした上で、「タバコ規制は個々の政府やNGO、マスメディアが単独で取り組んでも有効ではなく、国際的な取り組みが必要」と1998年に宣言し、タバコのない世界構想を立ち上げました。 これは歴史上初のWHOが策定する公衆衛生に関する条約です。 タバコ規制枠組み条約には、次のようなことなどが対策の項目として盛り込まれています。
1)たばこの値上げ、増税を奨励
2)誤解を招く商品名(マイルド・ライトなど)を規制
3)包装面の30%以上に警告表示
4)広告を禁止か規制
5)未成年の自動販売機利用を規制
 こどもは親を真似、広告を見てタバコにあこがれ、友だちや先輩に勧められ吸い始め、そして自動販売機で購入します。 また欧米のタバコ・パッケージには「SMOKING KILLS」すなわち、「タバコは(人を)殺す」と書かれています。 こどもがこの警告表示(事実)を見たら、吸い始めないのではないでしょうか。
5.未来(あした)のために
 本年2月27日、タバコ規制枠組み条約が「発効」しました。 米国とともにタバコに寛容な日本ではありますが、いよいよ動き出しました。 もちろんタバコ産業で生計を立てている方々への配慮は必要ですし、現在の喫煙者はタバコの害を知らずにニコチン依存症にさせられてしまった「被害者」なのですから、充分納得して協力いただかなくては成功しません。 禁煙支援だけでなく、禁煙治療をしやすい制度も必要だと思います。 しかし、なにがあっても、こどもの前でだけは、絶対にタバコを吸わないでください。 こどもの受動喫煙対策と防煙対策に関しては、毅然とした態度を示さなければいけません。 稿を終えるに当たり、加治正行医師のお言葉で締めたいと思います。
 「受動喫煙は子どもへの虐待!」
 「防煙は未来に向けた大人の責任!」
 未来(あした)のために、タバコの害から、こどもたちを守りましょう。

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写真  『司法浪人』    佐久間内科小児科医院 佐久間秀人   

 故郷で、町医者をしております。
 本業の傍ら、文芸誌の新人賞に小説を応募しては、落ち続けております。
 余計なことには手を出さず、やるべき仕事だけをこなしていれば、落選の知
らせにいちいち落ち込まずにすむものをと、妻も中学生の子どもたちも笑
います。
 でも、だからこそ「夢」。

 四十才男性。初診です。
 細面で色白、見るからにヤサ男。
 訴えは、一ヶ月前からの左胸痛でした。狭心症の感はなく、心電図、胸部X線も
異常なし。どう診ても肋間神経痛。
「帯状疱疹の極初期ですと、痛みだけのこともありますがねえ・・・」
「大丈夫でしょうか。このままで、もちますでしょうか」
 異様に不安がるのが印象的でした。
「一週間後、試験で東京へ行かねばならないんです」
 司法試験に挑戦し続けている、とのこと。
 大学を出てしばらく働いてから、法の道を志したそうです。それからずっと。
軽く見積もっても十五年。
 今年はじめて、筆記試験をパス。口述論文と面接に進むだけでも、かなりの
難関です。
「顔色はいいとは言えませんが、かといってどこかに病気がある様子
もありません。試験を前にして、かなりのストレス状態にあることは確かです。
神経痛が出ても、不思議ではないですね」
 一応は血液検査をして、異常があれば、すぐ電話でお知
らせすることにいたしました。
「鎮痛剤は朝昼晩、一日三回定期的に飲んでください。何か病気かもなんて、考
え過ぎですよ。うん・・・」
立ち上がろうとする彼に、もう一度声をかけました。
「頑張るしかないでしょう。大丈夫ですよ、頑張ってください」 
 それから二週間後。今度は四才のお嬢ちゃんと、高校教師の奥さんと、
三人一緒にいらっしゃいました。
 血液検査に問題はなかったことを伝えると、試験は無事受けてきたこと、試験
が終わると胸痛も消えたことを聞かされました。結果については、「なんとも言
えないが、やるだけはやった」と。
 傍らの奥さんと彼を見比べ、自分を卑下するわけでもなく誇示
するわけでもなく、とつとつと話す彼の、なんと言いますか、奥さんに食
べさせてもらってきたわけですよ、長い間。そういう、男としての情けなさ、
けれど諦めなかった、強さ。夫婦には、いろいろな「つながり方」
があることを、今さらながら感じました。
 試験は、三日間の長丁場だったそうです。全日程を終了し、会場を出て地下鉄
の駅まで歩く途中、自然に涙がぼろぼろ出てきたといいます。
「どうしても止まらなくて、しょうがないので、声上げて泣きながら歩
きました。とことんまで来ると、出るのは涙だけです」
 話しながら、また涙。
「夢です。ここまで来た以上、引き下がることは出来ないんです」
 奥さんまで、ハンカチで口を抑え、鼻すすり出すし。
 お嬢ちゃんも、確実に何かを感じ取った様子。
 胸が熱くなりました。
 そうしましたら、今日、一人でぶらっとまた現れ、深々と頭を下げ一言。
「受かりました。報告に参りました」
「ほんとか?」
 嬉しかったですねえ。
 やはり、夢ですよ、夢。夢、夢。夢を失っちゃいけません。
 彼のような人が、同じこの土地に生きていることを誇りに感じます。
 実は、彼の初診の時点で、(小説が)新人賞の二次審査を通った通知が来
ておりました。三文小説と司法試験を一緒くたにしては失礼ですが、そういう
意味で、彼に対する「頑張れ」は、自分に対して言っていたような部分
があります。
 もっとも、新人賞の方は最終審査で、また落ちました。
 まあ、そういうわけで。
 僕の場合、夢は夢のままで終わるから、「夢」なのかもしれません。
(福島県医師会報第66巻第8号に掲載)


〒964-0917 福島県二本松市本町1-237
  佐久間内科小児科医院 佐久間秀人
   clapton@seagreen.ocn.ne.jp
Tel 0243(22)0570 Fax 0243(23)4830

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  『ありがとう』
            佐久間内科小児科医院 佐久間秀人

 東北の片田舎で、町医者をしております。 8年前まで、大学病院の血液内科におりました。 内科ではあるものの、関連病院では小児診療の機会も多く、望む望まないに関わらず、子どもと関わって参りました。 現在は、内科より小児の患者さんが多い状況です。
 月に一回の、市役所の保健センターの乳児検診では、1才6ヶ月を任されております。 先月のことです。 20番目ぐらいに来た親子でした。 母親は、20代半ばといったところでしょうか。 子どももごく普通の男の子。 健康そのものといった感じです。 問診表のはじっこの、保健師さんが書いたらしい文字を見て、ちょっとギクッ。 「白血病」
(この子、これで白血病なの? そうか、寛解に入ったんだな。 いや、ちょっと待てよ。 いくら寛解でも、検診になんて来ない方がいいんじゃないのか。 風邪流行ってんだし。 そうかそうか、上の子か誰かだな。 きっとそうだよ。)いろんな思いが、頭の中をグルグル回りました。 診察の後、母子手帳を見ると「第1子」とあります。 つまり、兄弟はいないのです。
 もう一度問診表を見ると、今度は「妊娠」の文字。 何がなんだかわかんない、まさしく混乱状態。
「これ、どうしたんですか?」 動揺を悟られないように、恐る恐る聞くと、「ああ、それワタシのことです。 なんか病気したことあるかって聞かれたもので、」あっけらかんと答えます。
「へっ?」 ますます追い込まれる、元血液内科医(今は、なんでも町医者)。
「それで、タイプは?」
「急性の骨髄性、だったかなあ・・・」
「いつだったんですか?」
「13年になります、もう。 でも、やっぱり、どうしてももう一人欲しくて・・・」はにかみながら彼女、その時はじめてです。 照れくさそうに笑いました。
13年前といえば、きっと10代の前半頃だったでしょう。 今でこそ治癒率は上がりましたが、まだまだ大変な時代です。 病気を克服したのは、もちろん素晴らしいことです。 それよりも、彼女がその後どんな思いで結婚を決意し、子どもを産み、育てているか聞きたかった。 付け加えて、旦那さんのお気持ち。 彼女や、旦那さんの御両親のお気持ち。
 でもねえ。
 聞けませんよそんなこと。 彼女にとっては、もう過去のことに違いないからです。 新しい命を宿しながら、やんちゃ盛りの1才6ヶ月を相手にする毎日に、精一杯に決まっています。
 通常の化学療法後の妊娠、出産の報告は、昔、アメリカの文献で読んだような記憶があります。 治癒率も上がっていることですし、日本でも増えてくるんだろうなと思っておりました。 実際にお会いしたのは、はじめてでした。
 何かしら、言葉をかけたいなと思いました。
「頑張ってください。」 既に頑張ってんだから、何を今さら。
「大変でしたね」。 だからどうした。
「愛してるよ」。 おいおいおいおい。
 結局、「13年も経っているんだから、病気は完全に治癒しているわけで、薬の影響もないでしょうね。 お子さんも健康に育っています。 何も心配することはありません。 元気な赤ちゃん、産んでください。」
 実にありきたりな、けれど、その時の僕にはそれが精一杯でした。 彼女、澄んだ目で頷いてくれました。
 検診を終えクリニックへ戻ると、数人の患者さんが待っていらっしゃいました。 診療の合間、考えました。 あの時、彼女に伝えたかったことはなんだったんだろう。 僕は、何と言えばよかったんだろう。
 ん?
 そうか。
 そうだよな。
 わかった。
 ありがとう。
 うん。 ありがとう、だ。 これしかない。
 病気克服してくれて、ありがとう。 結婚してくれて、ありがとう。 子ども産んでくれて、育ててくれて、そして今も、新しい命を宿してくれて、ありがとう。
 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。
以前、どこかのテレビ局の、東京の小児専門病院を密着取材したドキュメンタリー番組。 中堅クラスの医師が、インタビューに答えていました。 
「僕達が患者を救ってるんではないんです。 患者が僕達を救ってくれているんです。」 ちょっと聞いた分にはキザったらしい印象を受けますが、真実と思います。 病院時代の患者さんで、今も生きているのはたった一人です。 僕より3つ上の主婦でした。 あの時小さかった子ども達も、今は高校生、大学生になっています。
 おじいちゃんが趣味で造っているという野菜を、時々送ってくれます。 お礼に電話をかけると、「お酒あんまり飲み過ぎんな」だの、「夜は早く寝て、体大事にしろ」だの、今度はこっちが心配されている有り様です。 救われています。 ありがとう。
(2003年11月メディカルトリビューン誌Vol36No45掲載)

〒964-0917 福島県二本松市本町1-237
佐久間内科小児科医院 佐久間秀人
clapton@seagreen.ocn.ne.jp
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写真 人とふれあう喜びがイキイキのもと ある小児科医の挑戦
           フリーライター 五木田 勉さん

 普段は小学生の元気な声がこだましている体育館。 その日の夜は、ゲームに熱中するPTAの保護者達の歓声が響き渡っていた。 6人で構成された2つのグループが向かい合っている。 それぞれのグループから1人ずつ前に出て、じゃんけんで勝負。勝った人は残り、負けた人は次の人と交代。 最後まで残った方が勝ちというゲームだ。 それだけなら、参加者がここまで盛り上がるはずがない。 それぞれのグループの代表は、勝負の前に「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、よいよいよいよい」と歌いながら踊る。 そしてじゃんけん。 勝った方は「勝ったよ、勝ったよ、よいよいよいよい」。 負けた方は「負けたよ、負けたよ、よいよいよいよい」とそれぞれ歌いながら踊るというルール。 参加者達には、最初は恥じらいも感じられたが、次第に盛り上がって、最後は全員が大声で歌いながら踊りまくっていた。
 いつもは、親として子どもに接している保護者達。 実は、その心の中にはまだ子どもの心が残っているのではないか。 普段の生活ではひっそりと隠れていた子どもの心が、小学校の体育館で息を吹き返していた。 この日の集まりは、心を解きほぐす準備体操の役割を果たす「アイスブレーキング」で始まり、コミュニケーションの大切さや、そのノウハウを学ぶための「コミュニケーション・ゲーム」が行われた。 この集まりのねらいについて、主催者であり進行役でもある岡空輝夫さんは、「子ども達が仲良くなるには、まずPTA会員同士が仲良くならないとダメでしょう。 そこで、お互いの交流を深める場を作ろうと思って始めました」
 岡空さんがこうしたゲームを学ぶきっかけになったのは、レクリエーションの勉強会に参加したこと。 その勉強会の講師は、第15回の「イキワクな人」で紹介した高校教諭、高塚人志さんだった。 岡空さんは、その時に体験した『図形を作ろう』というゲームが印象に残っている。 最初、グループのメンバーにバラバラになった三角形の部品が配られる。 それを他のメンバーと1つずつ交換しながら、全員が三角形を完成すればゲームは終了。 「私は、自分の分だけを完成させて『やった!』と思っていました。 でも、いったん完成した三角形をくずして、必要な人に部品を渡さないと全員の三角形は完成しない。 自分さえよければいいと考えていたことに気づいてがく然としました」 みんなで協力することの大切さは知っていた。 しかし、知っていることと本当にわかっていることは別であると、岡空さんは身をもって体験した。 自分の体験を通して、人との関わり方を学べるレクリエーション(以下「レク」と略)の奥深さに感動した岡空さんは、それ以降レクのリーダーを養成する講座に参加するようになった。
 岡空さんは、鳥取県内で小児科の医院を開業している。 またご自身にも4人のお子さんがいる。 「勤務医をしていた頃は、本当に忙しくてね。 子どもは親の背中を見て育つのだから、俺は仕事さえしていればいいという感じでした。 そのくせ『早く寝なさい』とか『勉強しなさい』と叱ることだけはしていましたね。 でもどこかに、本当にこれでいいのかという思いはありました」
 以前のことをそう振り返る岡空さんだが、ご自宅におじゃました時、取材の合間に一番下の小学2年生(当時)の息子さんに話しかけ、息子さんの話に耳を傾ける姿が印象的だった。 笑顔で息子さんに接している岡空さんからは、会話を通して息子さんとふれあえることを心から楽しんでいる様子が伝わってきた。 「子どもと触れ合う時間をとれるようになったのは、6年前に開業してから。 時間的な余裕ができたことが大きいですね」
 岡空さんは、週のうち3日は子ども達と一緒に夕食をとって、その後、子ども達の話を聞いたり一緒に遊んだりする。 最近、岡空さんは医師会の仕事の一部を辞めた。 これ以上仕事を増やすと、子どもと過ごす時間を確保できなくなるというのがその理由だという。 「大変なこともありますが、子育ては楽しいですから。 子どもを見ていると、自分の分身みたいなところもあるし、どう育っていくかわからないところもある。 子どもを自分の思い通りに育てようとすると辛いでしょうが、なるようになると割り切れば、気持ちも楽です」
 自分の病院も、息子が継いでくれればうれしいが、かといって無理に医者にしようとは思わない。 それよりも、本人がやりたいことを応援したい。 その一方で、親として最低限のことはしたいと思っている。 「親や小児科医として子ども達に接していると、小学生の低学年くらいまでは、自分の思っていることを相手に伝える力を鍛えることが大切だと感じます」
 数十年前は、子ども達は友だちと遊び、家庭で両親や祖父母と触れ合いながら、自然に自分の思いを相手に伝える力を伸ばしていた。 ところが、最近では友だちと遊ぶ時間が減少し、家に帰っても誰もいないというケースも増えている。 「自分の思いを外に出せないことが続くと、いじめや非行という形で現れたり、時には不登校の原因になったりするのではないかと思っています」
 一方、伝える力がしっかりと育っていれば、人の話を聴く余裕も生まれてくる。 すると、周りの状況を把握できるようになるから、ものごとの本質をつかむ力も芽生えてくるのではないか。 岡空さんはそう考えている。 「話す力、聴く力、そして本質をつかむ力。 子ども達には、3つの力を身につけて欲しいと思っています。 中でも、まずは話す力を鍛える必要がある。 そのためには、子どもの言葉に耳を傾けることが大切だと思っています。 もしも話を聴いてくれる人がいなければ、子どもだって話す気になれないでしょう」
 岡空さんは、以前から子育てについての講演を依頼されていた。 最近では、思い切ってまずアイスブレーキングから始めることがあるという。 「うまくいくと、会場の雰囲気がふっとゆるみます。 話し手と聞き手の距離が縮まったような感じで、その後、話しやすくなります。 ただ、『うまくいくかな』とか『恥ずかしいな』と思っていると、うまくいきません。 いかに自分の地をさらけ出して、みなさんの前で裸になれるかがポイントのようです」
 岡空さんの話を伺いながら、見学したPTAの保護者の集まりが、あれほど盛り上がっていた理由がわかったような気がした。 たしかに参加者の前でゲームのやり方を説明する岡空さんからは、「みなさんとレクができてうれしい」という気持ちが伝わってきた。 参加者もそれを感じたからこそ、心を開いてゲームに参加していたのではないか。
 自分をさらけ出すから、相手も本音を出す。 お互いが自分の周りに築いていた壁を取り払ったとき、普段は体験できない喜びを味わえるのかもしれない。 だからこそ、参加者達はまるで子どものようにはしゃいでいたのだろう。
仕事や子育てで忙しい合間をぬって、レクのリーダー養成講座に通い、保護者達の集まりで実際にレクのリーダーをする岡空さん。 おそらく、レクを通して多くの人とふれあう喜びがその原動力なのだろう。
 そして、こうした喜びを体感したことによって、岡空さんは積極的に子育てに参加するようになったのではないか。 そんなことを感じた。

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 ラストチャンス −就学時健診での予防接種指導− 岩田祥吾(静岡県小山町、内科小児科医)

 麻疹や風疹など、予防接種未接種者の感染事例があとを絶たず、日本医師会、日本小児科医会、厚生労働省は今年3月の「子ども予防接種週間」において「4月からの入園・入学に備えて、必要な予防接種をすませ、病気を未然に防ぎましょう。」と呼びかけています。 一方、就学時健診は(学校保健法が記す学校医の職務の一つですが)、予防接種が済んでいるか否かのチェックを行い未接種者へ指導するという大切な業務があります。 多くの法定接種は7歳半が接種年齢のリミットですから、就学時健診はまさに接種勧奨のラストチャンスと言えます。 ところが就学時健診は文部科学省管轄、予防接種は厚生労働省管轄なので、業務が円滑に流れにくいところでもありそうです。
 平成14年3月29日、文科省は都道府県知事・教育長に対し、13文科ス第489号「学校保健法施行規定の一部改正等について」と題して、「市町村の教育委員会は、就学前までに済ませる予防接種について、接種を受けていない者に対して指導する」、また「事後指導として適切な措置をとらなければならない」と通知しました。 でも実際はどうでしょうか。 通知を知らない自治体も少なくありません(日児誌2004;108:887)。 また知っていたとしても、教育委員会職員や学校医、養護教諭も当日は多忙であり、指導するにも限界があります。 さらに予防接種そのものは、保健センター・健康福祉センターなどで管理されているので保管されたデータを他課で使用することは難しく、就学時健診(文科省管轄)がポッカリとエアーポケットのようになっていたように思います。
 そこで厚労省は平成15年11月28日、都道府県知事、政令指定市市長、特別区区長に対し、健発第1128002号「予防接種の実施について」のなかで、「一歳六か月児健診、三歳児健診、就学時健診等において接種歴を確認し、未接種者に対して接種を受けるよう指導する等、十分な接種機会の確保に努めること」を通知しました。 従来の通知(平成6年)には「就学時健診」の記載がありません。 すなわち今回から、予防接種担当課の職員が「就学時健診に関与してよし」という、聖域を越えた画期的な通知が発令されわけなのです。 就学時健診には本人はもちろん、ほとんどの保護者が学校(会場)に来ます。 ここで予防接種に精通した予防接種担当課職員による適切な指導がなされたならば、多くの未接種者が予防接種を受けるように努力することでしょう。 しかも7歳半までは御殿場市も小山町も、無料で接種が受けられるのです。
 小山町健康福祉課は今年度平成16年11月の就学時健診から職員を全小学校に2名づつ派遣し、受付の時、保護者に持参してもらった母子手帳をチェック、未接種者に対する接種指導、指導後の接種の確認、入学後の教育委員会への申し送りなど、予防接種のプロとしての行動を開始しました。指導現場では保護者の意志と反するケース(例:予防接種不信)など苦労も多々ありますが、子どもの健康のために予防接種担当課と教育委員会、学校、学校医が協力しあおうという実践はすばらしく、ますますの連携プレーが期待されます。 結果がでるまでには時間を要しますが、今後が楽しみです。

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 境港市と東京都渋谷区の小児科医の繋がりはどこでできた、、
          宝樹真理 たからぎ医院(東京都渋谷区)

 先日、岡空先生から原稿募集のメールが届きました。 私は東京都渋谷区で小さな小児科医院を開業している宝樹真理といいます。 「たからぎまり」ではなくて、「たからぎしんり」という中年のおっさんです。 決して怪しい仲ではありません(笑)。 それでも何故、境港のおっさんと東京都渋谷区のおっさんがメル友なのか? それは、、随分時を遡りますが、世の中に「パソコン通信」なる言葉が聴かれるようになった頃、NIFTY-Serveというネットワークがあり、私はそのメンバーで、医師の利用するForumで読み書きしてました。 そこに岡空先生も参加されて、通信のやりとりだけでなく、いろんな学会のときにお眼にかかることになったのです。 パソコン通信はその後インターネットに置き換わり、いまや猫も杓子も電子メール。 「メール」といえば「電子メール」ですが、私たち、おっさんはメールは道具。 つまり境港、東京と離れていても、まるで隣に住んでるように、勉強、遊び、家族のこと、なんでも話しているんです。
 2年前の2月。 東京で開かれた小児科のための勉強会があり、勉強家の(え〜、うそ〜)岡空先生は、はるばる東京を訪れました。 私ですか? 私は他のことにかまけて勉強会には出席せず、その日の夜開かれた懇親会に出席、そこでもお眼にかかったわけです。 岡空先生が熱心に取り組んでおられるレクリエーションリーダー養成講習会(赤碕高校の高塚先生と一緒に)に誘われて、11月の連休を利用して、船上山少年自然の家に出かけました。 前日は皆生温泉に泊まり、翌日からの過酷?な1泊2日の講習に備えました。 蟹も千代むすびも旨かったなぁ。
 三々五々集まる受講者。 皆、初めてではないようで、それぞれ部屋の隅に荷を解いて、なにやら準備をしている。 私は何をすればいいのか判らず、ぼーーっと。 そうこうするうちに高塚先生が登場。 熱のこもった話しにグイグイ引き込まれる。 あっという間の数時間。 初対面であった受講者同士もうちとけて、夕食となる。 ビールも入り、自己紹介も進む。 私は高塚先生と数人でなんと翌朝4時まで話しこんでしまった。 翌日の講習も充実していたが、最初の2時間くらいは眠くて、あまり覚えていない。 あっという間に終わりが近づく。 高塚先生の講習会は始めてだったが、岡空先生の情熱に似たものを強く感じた2日間でした。
 岡空先生、何かと根気の続かない私を引っ張っていってください。 境港の冬は厳しいですか? お体大切に。
---
宝樹真理
たからぎ医院 150-0013東京都渋谷区恵比寿1-7-10
電話&FAX:03-3441-4626
http://www.ebisu.net/

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